『英語どんでん返しのやっつけ方』(小学館 根石吉久・村田晴彦共著)より


「電圧装置 (1)」

 これは機械の名前ではありません。自分で作るものですが、材料費は安いです。ただし、完全に使いこなすのに労力はおしまないで下さい。
 まず、文房具店に行って、レポート用紙とボールペンを買ってきます。材料はそれだけです。レポート用紙を縦に二つ折りにするだけで、「装置」になります。
 これを使い、英単語、熟語、単文、文法事項などをみな殺しにします。辞書をひいて調べたこと、これは覚えるべきだと思うもの、まだあやふやなものなどを、これに書き込みます。
 三十行くらいのレポート用紙に一行おきに書くと使いやすいでしょう。書き込み方は、いろいろに工夫できますが、左に日本語、右に英単語(単語、熟語など)という書き方をひとまず標準にします。発音を知ったばかりのものは発音も書き込みます。(略)
 くれぐれも注意してもらいたいことがあります。
 欲ばって、一度に何枚も作ることはしないことです。(略)「嫌気」が大敵なのです。「量より質」をこころがけて下さい。これが大切なコツです。まずは一枚を確実にものにして下さい。
 自分用に記号(→、〜、各種括弧など)を決めて使いこなすと簡潔に作れます。スペリングなどは正確であること。もし間違って書き込むと、間違ったまま完全に覚えてしまうことになります。
 さて、最初の一枚を作り終わったとします。どのくらい時間がかかってもいいから、この一枚に書かれたものを、一つ残らず殺します(覚えます)。左の日本語を見たらただちに右の英単語が書けるようになるまで、レポート用紙を広げたまま、別の紙に何度も何度も書き、言いながら、強くイメージします。(略)
 手で書き、口で言い、想像力、直感力などを総動員して知識を殺します。知識を殺すとは、知識を単に文字で書かれた知識にしておかずに、自分の意識におけるイメージに変えることです。
 こういう練習によって知識が殺されたとき、その単語・熟語は練習した人の内にイメージとして生きはじめます。(略)
 あくまでも体の動きによってとりこみます。初めから記憶力などというものをアテにしないで下さい。口で言い、手で書いて下さい。そして、強くイメージして下さい。(略)
 ひとつずつ確実に殺し、一枚のレポート用紙に書かれたものをすべて殺し終わったと思ったら、紙を二つ折りにして、左半分に書かれているものだけが見えるように机に置きます。答が隠れ、問が見えているように置くことになります。
 一枚のレポート用紙に書かれたものを、完全に覚えるようになるまでに必要な時間は、慣れるにしたがって少しずつ短くなっていきます。初めはどれだけ時間がかかるかなどは気にしないで下さい。量より質が大事です。

 さて、日本語を見ながら、つぎつぎに「解答」していきます。実際に手で書いて、別の紙に解答して下さい。
 非常に大切なポイントがあります。見たらすぐに手が動き、隠されている英単語等が書けるのでなければ駄目だということです。
 日本語を見たら、「ただちに」、ほんとうに「すぐに」、英単語が言えて書け、イメージが生じるようになっていなければいけません。それが最低限必要な質です。思い出すということをしてはいけない。思い出すのに数秒必要な単語があったら、練習が足りません。もう一度、レポート用紙を広げて、練習しなおして下さい。
 日本語を見て、「ただちに」英単語が書け、答え合わせをしたら間違いゼロだったというところまで仕上げることができたとします。これで、ひとまず一枚のレポート用紙にある知識をみな殺しにしたことになります。そうしたら、レポート用紙の上のほうの空白に通し番号のナンバーを「1」と書き込みます。
 一枚のレポート用紙に書き込める単語・熟語の数は十五程度です。しかし、十五ばっかしなどとバカにしてはいけません。十五ばっかりの単語も完全に殺すことができない人が、何千もの単語が殺せるはずはありません。十五ばっかしでいいから、完全みな殺し戦術にぬかりのないような質のいい練習を行ってください。
 読書しているのではないので、使ってある日本語は、絵を見るように見て下さい。一目で見て、そのイメージ(煮詰められればイデア)をつかみ、ただちに英単語(熟語・短文)に即応させます。
 塵も積もれば山となります。英語をやる場合に、これは真実です。





 小学館文庫版へのコメント 08/08/03

 小学館文庫「英語どんでん返しのやっつけ方」は、2000年の発売ですので、約8年前のものへのコメントということになりますが、実は小学館文庫の「英語のやっつけ方」のパートは、1983年に素読舎から発行された「けんか英語入門・英語のやっつけ方」という冊子を収録したものです。従って、このコメントは25年前に自分で書いたものへのコメントということになります。
 コメントしたいのは、以下の部分です。


・左の日本語を見たらただちに右の英単語が書けるようになるまで、レポート用紙を広げたまま、
 別の紙に何度も何度も書き、言いながら、強くイメージします。(略)
 手で書き、口で言い、想像力、直感力などを総動員して知識を殺します。

・口で言い、手で書いて下さい。そして、強くイメージして下さい。

・非常に大切なポイントがあります。見たらすぐに手が動き、隠されている英単語等が書けるので
 なければ駄目だということです。

・日本語を見たら、「ただちに」、ほんとうに「すぐに」、英単語が言えて書け、イメージが生じるよう
 になっていなければいけません。それが最低限必要な質です。


 日本語を見たら、「ただちに」、ほんとうに「すぐに」、英単語が言えて書け、イメージが生じるというレベルは、英単語を見たら、「ただちに」、「すぐに」イメージが生じるというレベルでもあるわけです。ここは地続きです。
 日本語は、英単語を見たら、「ただちに」、「すぐに」イメージが生じることを始動させるための単なるきっかけのようなものになっているはずです。ここが語学が、日本語(母語)に対して罰当たりなところです。

 このときの「ただちに」「すぐに」の自然性や自動性は、記憶力というものが作るものではありません。これは、言ったり書いたりする「繰り返し」が作るものです。言ったり書いたりすることも、体の一部を動かしながらやっているわけで、「繰り返し」は体の動きの繰り返しであるわけです。
 「言いながら書きながら」というのは、一つの英単語なら英単語を「暗記すること」とは次元が違います。暗記は頭がやるのでしょうが、「言いながら書きながら」は、頭がやることより以前に、あるいは頭がやることと同時に、英単語なら英単語を体になじませているのです。頭の次元だけでなく、体になじませて、知識を体の次元に「降ろしてやる」ということをしているのです。言葉は悪いですが、これが「頭のいい馬鹿」が実体化することを防ぐ唯一の方法ではないかと思っています。「頭のいい馬鹿」が量産されている時代ですから、「言いながら書きながら」ということは、重要な一項目となると思います。

 「言いながら書きながら」という場合、私の「電話でレッスン」の生徒さんたちなら、「言いながら」というところで苦労することはありません。「電話でレッスン」で使う教材は、「繰り返し」を原理として作ってありますので、特に覚えようと思ったわけではないのに、いつのまにか覚えてしまったということが自然に起こります。これは、原理として、暗記とは違うものです。いつのまにか自然に覚えてしまった文に含まれる単語を、「言いながら書きながら」イメージするときに、もう音として文をまるごと覚えてしまってあるので、「言いながら」について苦労することはありえません。

 レッスンとレッスンの間の一週間の間に「言いながら書きながら」の「書きながら」をやってくれと生徒さんに言うことがあります。これについても、最近よく生徒さんに言うことを、ここにコメントとして書いておきたいと思います。

 「単語を書く場合に、何回書けばいいのかと聞かれることがあるんだけど、回数は決まってない。何十回かというくらいのおおざっぱなものだけど、一番参考になるのは、そろばんの上手な人の指の動きだと思う。そろばんの上手な人は、そろばんの玉を動かすのに、今度は人差し指、次は親指、その次は薬指なんてことは全然意識していない。ある数字を耳で聞いたり、目で見たり、心で思うだけで、指が勝手に動く。英単語を書くことで言えば、その単語の音を言ったときに、手首が勝手に動いて自然に自動的にその英単語が書けてしまうというレベルになればいいので、回数にとらわれる必要はない。「自然に自動的に」というレベルが実現するのは、多分何十回という回数にはなると思う」

 というようなことを、最近よく「電話でレッスン」の生徒さんに言っています。
 字を見れば、勝手に口が動いて、すらすらと自然に自動的に「読めてしまう」というレベルは「電話でレッスン」を受け続けていただけば、必ず実現します。
 生徒さんが自分でやってもらう必要のある練習は、単語の音を言ったときに、手首が勝手に動いて自然に自動的にその英単語が書けてしまうというレベルを実現してもらうことです。これは、レッスンではできません。
 「言いながら書きながらイメージする」というときの、「言いながら」に関しては「電話でレッスン」は必ず責任をもって、「自然に自動的に」というレベルを実現しますが、「書きながら」に関しては、生徒さんが自分でやっていただく必要があります。その時に、一番参考になるのは、そろばんが上手な人の指の動きだと言いたいのです。いちいち何かを考えなくても、手が勝手に動くというレベルが必要なレベルなのです。

 「言いながら書きながらイメージする」の「イメージする」ですが、これが一番説明に困ることなのです。人の意識にイメージが生じるということの正体が、私にはよくわかっていないのです。いろんな関連の本を読むのですが、納得できたことがありません。正体はわからないままに、しかし、人間の中にイメージが動くということは現実であり、日常的なことです。今、この日本語の文を書きながらも、私の中にイメージの気化したようなもの(イデアと名付けていますが)が動くわけです。その正体は、人間の精神というものの正体がわからないとわからないものだと思われます。あるいは、人間という生き物の正体がわからないとわからないものだと思われます。

 イメージの発生や、その動き自体を言葉で説明できないので、最近は生徒さんに次のように言っています。

 『言いながら書きながら、強くはっきり思うってことをするわけ。この単語は「こういうこと」ってのを強くはっきり思えばいい。「こういうこと」とか、「こういう感じ」というものを強くはっきり思えば、イメージってのは、自然に勝手に生まれてくる。それが生まれてくれば、結果として、イメージを作れたってことになる』

 以上、「言いながら書きながらイメージする」について、今の段階でのコメントです。






さらにコメント 08/08/04

 25年前に書いたものを、今日になってもう一度眺めてみると、「電圧装置」を使ってやる練習と、「読みながら書きながらイメージする」という練習をうまく分離して書けてないなと思いました。自分ではよくわかっていることなのだが、この書き方だと、読者の中で、「電圧装置」を使う練習と、「読みながら書きながらイメージする」ということの関係がはっきりしないのではないかと思ったのでした。
 老婆心なのかもしれませんが、再度、コメントを加えます。

 「言いながら書きながらイメージする」練習は、「電圧装置」を使う練習を下支えするものです。練習全体のもっとも大事な部分が、「読みながら書きながらイメージする」です。この下支えがなければ、「電圧装置」を使った練習はまったく成立しません。
 「過程」と「結果」という分け方をすれば、「言いながら書きながらイメージする」が「過程」であり、「電圧装置」を使った練習(「ただちに」「すぐに」)は、「結果」です。

 順序としても、「言いながら書きながらイメージする」が先にあり、「電圧装置」を使った練習は、その後になります。(レポート用紙を二つ折りにして、「電圧装置」を作ることは、これら二つの練習の準備にすぎません。)

 また、「英語のやっつけ方」を書いた当時は、「電圧装置」という名称で練習全体を呼んでいましたが、「過程」こそが大事なんだと思い直し、現在では、「言いながら書きながらイメージする」という言葉をそのまま練習の名前と考えています。

・「言いながら書きながらイメージする」練習
・「電圧装置」を使う練習

 というように、二つとして考えています。根本にあるのは一つで、「記号を使って、イメージを瞬時化する」ということがあるだけです。練習としても連続しています。


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